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品種:コシヒカリ

 

『じいちゃんの米』

子供の頃は思わなかったのに、大人になってから僕は、じいちゃんという存在は不憫だなと思った。 じいちゃんが働いて建てた家でも、ぼくらはずっと『ばあちゃん家』と呼んでいた。 じいちゃんが働いて稼いできたお金でも、こづかいを手渡してくれるのは『ばあちゃん』だった。 なにをするにも『ばあちゃん』が先にきて、『じいちゃんのおかげ』的なことにはなりづらかった。

けれど僕のなかで唯一といっていいような『じいちゃんの』があった。 それが『じいちゃんのお米』だ。

おそらく僕は、産まれて物が食べられるようになってからずっと、じいちゃんのお米を食べて育っている。 幼稚園、小学校、中学校と成長していっても、何年も何年も僕の記憶の中でじいちゃんは田んぼにいて、お米といえば『じいちゃんのお米』だった。 今でも僕はうちにお米が少なくなると、ばあちゃんの家に行ってじいちゃんのお米を譲ってもらう。 もちろん相馬の米、なかでもじいちゃんのお米は格別に美味い。 何か賞をとるようなお米でもないし、特別なことをしているわけでもない。 小さい頃からずっとじいちゃんの姿を見てきたから、僕にとっては一番美味い。

 

けれど、僕が見てきた背中は30年も時を経て、終わりの準備にとりかかるような年齢になっていた。 手に力が入らない。 足が痛む。 具合が悪い。 そんな日が少しずつ増えていき、今では毎日そんなふうに言うようになってしまっていた。 いつかはと思っていたけど、もうすぐじいちゃんのお米も食べられなくなるんだなと思うと寂しくもなった。 だからこそ、じいちゃんが辞めるまでのあと数年のうちに、僕が代わりたいとじいちゃんに言った。 じいちゃんは代わりたいと言った僕の顔を真っ直ぐは見なかった。 けれど少し間をおいて、安心したかのように『うちにある機械は使え』と不器用な答えを返してきた。

あと2、3年ですべて交代するかもしれない。 そしたらもうじいちゃんのお米は食べられない。 けれど、これでいい。 あと30年もしたら、次は僕が育ててるお米が孫たちから『じいちゃんのお米』と呼ばれてるだろう。 食味でも数値でもない、家族から『うちのがいい』と言われるような、想い出をご飯茶碗に詰められる米農家に僕もなりたい。

長い長い説明になりましたが、そんなわけで、うちのじいちゃんの米、ぜひ皆さんにも食べてもらいたいと思います!

じいちゃんの米 精米5キロ コシヒカリ

¥1,800価格
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