​第2回

ふくしま産業賞

​金賞受賞

​大野村農園の、「はじまり」と「想い」

 

2007年12月30日。

 

その当時、22歳になる日を迎えた僕は、池袋の「てのはし」というホームレス支援団体の炊き出しのボランティアに初めて参加していました。前々から日本の貧困問題には興味があったし、マザーテレサの本も何冊も読んでいました。
万引きGメンとして、日本の底辺でもがき、盗み食べる人たちと接しても来ました。


じゃあその貧困を解決する答えは。

そう自分で自分に問いかけても出せなかった答を、ここなら見つかるんじゃないかと思い踏み出す覚悟をつけれた日でした。正直、ホームレス支援団体というのは僕にはなかなか一人で初めて参加しに行くのは覚悟がいるものでした。それを行ってみようと決心できたのは、やはり「自分の誕生日なんだから自分を変えてやる」と覚悟がついたからでした。
結果として、僕はそれから何ヵ月も「てのはし」さんの所に通い、この国の貧困問題を直接現場にてこの目で学ばせて頂き、人間的にも大きく成長させていただきました。



「いつかまた戻ります。」

そう言った僕の答えとして、貧困問題というお金の部分は僕には絶対に解決することはできないけれど、炊き出しを配っていて喜んで食べてくれる人を見たり、夜回りでおにぎりを1つ渡しただけで「3日食べてなかった。ありがとう。」と言って受けとるおばあちゃんを見たり、それらの食材となる米を寄付しに届けに来た農家を見たときに、僕はこのボランティアの場には居なくても、人の命を助けてるのは農家であったと気がつきました。
そしてそれは同時に、僕自身が小さい頃から見てきた祖父母の日常の姿でした。
祖父母の田畑に立つ姿を見ていた時には、農家というものに特別何も感じていませんでした。
けれど答えはずっと足元にあったものでした。


僕自身が農家になろう。



そしてそこから「食べれる」ということを当たり前にしてやろうと決めて東京を旅立ちました。
その後日本各地あちこちの農家さんのところで住み込みで働き、農業のノウハウをとことん一から教えてもらいました。そして、いよいよふるさと相馬に戻り、いざ自分で農業を始めようかと思った矢先の2011年3月11日。

東日本大震災が起こりました。

幼少期を過ごした、たった一つのふるさと相馬。

そもそも僕が生まれ育った所は福島県相馬市の石上(いしがみ)という集落の1つでした。

小学校へ通うにも家を出てすぐの三軒のご近所さんの家を通りすぎれば、学校まで歩いていく間ずっと田んぼと畑しかない所でした。当時は蚕(かいこ)が盛んな地域で、うちでも蚕屋(かいこや)と呼ぶ蚕を育てるための部屋をもっていてよくそこで手伝わされたものです。小学生といえども田んぼの季節になれば苗を運ぶだけでもと駆り出され、蚕の餌やりとなれば餌の桑の葉を運ぶだけでもと手伝わされ、畑で芋や豆ができたとなれば収穫出来たものを運ぶだけでもと連れていかれたものでした。

それでも嫌な思い出などはなくて、なによりも家族みんなで1つの仕事をすることや、田植えや稲刈りとなると親戚のみんなも集まってくれて、みんなで汗流してから食べた昼ご飯、作業を終えて始まる夕方の宴も賑やかで、そんなあの頃が大好きでした。

じいちゃんとばあちゃんは小学生だった僕を農作業の合間にはよくいろんな所に連れていってくれて、それは遊園地や映画館などではなく、山にタケノコを採りに行ったり、山菜を採りに行ったり、ドジョウをすくいに行ったり、フナを釣りに行ったり、食用カエルを捕まえに行ったりと、なんでも見せて食べさせてくれる、じいちゃんとばあちゃんらしい生き方だった。

なかでも思い出深いのが、じいちゃんが山の中の小さな小さな神様を掃除に連れていってくれた日。

誰かが訪れた形跡もない山の中の神様を、丁寧に掃除し、お酒を注いだコップを供えるところを僕に見せてくれて、

 

「ここに神様がいる」

 

と僕に教えてくれた。僕はそれを見て山の見え方が変わり、川の見え方が変わり、海の見え方が変わり、あらゆる人のいないところの見え方が変わった。

最近になり、今年もまた掃除に行くと言うじいちゃんとばあちゃんに「あれは何の神様なのか」と聞いたら、あれは蚕の神様だと教えてくれて、蚕を辞めて20年はたつのに、それでも蚕の神様をまつるその生き方に、僕は今の自分で真似できるのだろうかと改めて敬服した。

しかし、昔の田畑の風景が年々減っていくと同時に、そういった体験をする機会も、それを伝える人も震災後は特に少なくなってきてしまった。

でも、じいちゃんとばあちゃんが僕に見せて食べさせてくれたあの時の思い出は、今度は僕と妻とで息子たちに見せてやりたい大事なものだ。

相馬は本当に良いところなんだ。

僕が小さいころから見てきた風景、自然が見せてくれる季節の色や味を、自分の子供だけでなく相馬に住む他の子供たちみんなにも同じように感じさせてあげたい。それが僕たち大野村農園の願いです。